スキゾ/パラノ

でいうとスキゾの方。
というか。
ユーザのフィーリングを測るのが研究のテーマなんだけど、
やりきれないものを感じている。
生理計測をその方法に据えちゃったからなのだけど、
浅い、動物的な、あるいは幼児的な反応を測っているだけのような気がしてならんのです。
ものやことを好ましいと思うのは、そういうことはほんの一部でしかないだろうと思うわけです。
例えば、昨日は一日中、本を読んでいたのだけど、
そこに魂の震えるようなことが書いてある訳です。
そしてそれは「文化的で感性豊かな」と呼ぶに相応しい体験を与えるわけです。
しかし私の研究ではそれが計れない。
この方法論でいずれ計れるとも思えない。(実験用に体験をコントロールしないといけないとか、理由はまあいろいろ。)
私の研究は、私の測りたい「感性」から断絶されている。と、感じる。heve been feelingです。
■パラノ的に計測しないと感性は役に立たないんじゃないかと思ってる、今は。
いわゆる「深い感性」か。
たとえばワインに対するソムリエのように、
自分の感覚をとぎすませ、言葉にするトレーニングをする方法を研究するほうが
よっぽど有意義であるように思えてならんのです。
■しかし博士論文の提出まで時間はない。
割り切る必要がある訳だけど。
わざわざ金を出して博士に通っているのは、こういう考えを深めるためだとも思っているので
簡単に切り捨てるのも嫌なのです。
■たまには真面目なことを書いてみたのでした。

パラノも決して良い意味じゃないな。他に思い浮かばなかったので。
7227